新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』への批判 その滅茶苦茶なストーリー

絶賛または批判!話題のアニメ映画『君の名は。』はツッコミどころいっぱい!

 最初に映画を観た感想を言うと、すごく面白かったし、感動したし、観終わったあとの余韻も最高です。観に行って本当によかったと思います。

ただ映画を観て、この映画に批判があるのも理解できました。ストーリーの展開がかなり「ご都合主義」です。友達に「どんな映画だった?」と聞かれて、話の展開を説明しようとすると、けっこう無茶苦茶な話だということが分かります。「何でそうなる?」というツッコミどころがいくつもあります。

この映画への批判に「これは映画ではなくミュージックビデオだ」という批判があります。どういうことでしょうか?

この『君の名は。』にはテーマ曲(挿入歌)が4曲あります。RADWINPSの『前前前世』が一番知られていますが、実際はRDWINPSの楽曲を4曲も挿入歌として使っており、映画はその4曲の歌詞の内容に合うストーリーとなっているのです。

RADWIMPS『君の名は。』挿入歌

  • 『夢灯籠』
  • 『前前前世』
  • 『スパークル』
  • 『なんでもないや』

監督の新海誠がテレビ出演時に語っていましたが、映画を作る過程でRADWIMPSのフロントマン野田洋次郎と頻繁に連絡を取りながら映画を作っていたそうです。

新海誠監督はもともとRADWIMPSの大ファンだったそうです。
新海監督の脚本→RADWIMPSの楽曲→新海監督の脚本、という順番で作成されたこの映画『君の名は。』は、RADWIMPSの楽曲が最大限に生きるように作られた映画です。

または、「映画と音楽がお互いに最大限の貢献をしあうように作られた映画」とも言えます。映画の中でRADWIMPSの曲が挿入歌として流れます。そして、その映画の主人公の置かれた状況と歌の歌詞がマッチして、主人公たちの気持ちを歌詞と音楽が代弁します。そこがとても感動的なのです。「4曲の歌詞と合った映画を作ろう。その世界観を作りだそう」そういう映画だとも言えます。

RADWIMPSの詩的な歌詞の世界と新海誠の詩的なストーリー。この二つを表そうとして作った映画の物語。

しかし、ストーリーが「ご都合主義」で滅茶苦茶になっているのは、これが原因な気がします。監督の好きな「詩的な状況」「歌詞と合う状況」を作るために、ストーリーがとても都合よく進みます。それが「映画ではなくミュージックビデオ」という批判でしょう。

それでは、ストーリーの概略とともに、ツッコミどころを説明します。

ストーリー概略(以下ネタバレあり)

東京の四谷に暮らす高校生:立花瀧(タキ)と岐阜県飛騨地方の山奥にある糸守町(架空の町)に住む同い年の女子高生:宮水三葉(ミツハ)。ある日突然、お互いの身体と意識が入れ替わります。

朝起きると、自分の身体が女に(男に)変わっていて、住んでる家も場所も違う。夢にしては余りにリアルな一日をおくる二人。そして夜眠り朝起きると元の身体に戻っている。

やっぱり夢か、と思うが、その体の交換は1,2週間に一回のペースで発生。入れ替わる体はいつも同じ相手。「お前は(俺の入れ替わったこの体の持ち主)は誰だ?」。その疑問からお互いへの関心が生まれます。

ツッコミ?

さて、何で突然こんな事態(入れ替わり)が発生したのか?それは全く分かりませんが(笑)。

しかし、このファンタジーの設定は素直に受け入れましょう。なにせ話のスタート地点です。ココを受け入れてからの物語です!ツッコミは無しです。入れ替わりの起きた翌日に、友人から「昨日のお前は変だった」と言われる二人。

お互い体の入れ替わった日は「変なことは起こさないように」と約束。また、「その日に起きたことをスマホのダイアリーに記録しておく」ことを決めます。それでも、入れ替わりが起きた翌日には「あいつ変なこと(余計なこと)しやがって!」ということが起きていて、お互いに喧嘩します。

(身体にマジックで文句を書き置きするなど)入れ替わりが起き始めてしばらく経ったある日、宮本三葉に入れ替わった立花瀧は神社の大切な儀式を行います。宮水三葉は神社の神主の娘(二人娘の長女)で、巫女さんです。その日は自分の家の神社のご神体に特別なお供え物をする特別な日でした。

ご神体は日本アルプスを見渡せるかなり標高の高い山頂にある洞穴に安置されています。そこに以前、宮水三葉(本人)が自分の口でコメをくちゃくちゃ噛んでから枡に吐き出したものを発酵させおいた「口噛み酒」をお供えしました。

一方、立花瀧の身体になった宮水三葉は、瀧のバイト先の美人で憧れの先輩(声:長澤まさみ)と明日デートする約束を取り付けます。三葉は体が入れ替わる度に、美人先輩(長澤まさみ)と仲良くなっていったのです。お互い心は女子ですから!

朝起きて、その日にあこがれの先輩とデートの約束があることを知った立花瀧。狼狽しながらも頑張りますが、会話がうまく続かず、デートは散々な結果に終わります。

先輩(長澤まさみ)と別れた後、そのことを三葉に報告しようと電話をするが、電話はつながりません。

三葉が残した携帯への書き込みを見ると「今日は彗星が見える日だね!」と書いてあります。しかし、瀧には「彗星?」と何のことやらわかりません。

そして、その日を境に、二人の体の入れ替わりは起きなくなります。

「あれはいったい何だったのか?」。立花瀧は、これまで瀧の体に入れ替わった日の三葉が瀧のスマホに書いたダイアリーを再度読もうとします。ダイアリーの画面を見ると、なんと突然、画面上でダイアリーが次々に勝手に削除されいき、全部消えてしまいました。

立花瀧から、スマホのダイアリーという、入れ替わりの起きた大切な証拠が消えてしまいました。

はい、ここでツッコミです。

すごくおかしいですね(笑)。体の中身は三葉だけど、体は立花瀧の体。その立花瀧の体か、瀧本人の携帯に書き込んで保存されているダイアリーです。何故それが勝手に削除されていくのか?(笑)瀧本人の意識から記憶が消えていくはまだ許せるとして、物理的に別個なスマホから三葉の痕跡が勝手に消えるのはオカシイですよね?

 ストーリー続き

 「あれ(入れ替わった時の記憶)はいったい何だったんだろう?」「やっぱり夢だったのか?」ますます知りたくなる立花瀧。じつは、彼は先輩とのデートの日、自分が入れ替わった日々に見た町と同じ写真を展覧会で発見します。それは岐阜県飛騨地方の写真。

そこで立花瀧は、バイト先のデートした先輩と学校の友人を連れて飛騨高山まで旅行に行きます。瀧は絵を描くのが好きで、自分が見た光景のスケッチをたくさん持っています。そこでやっと探し当てた、体が入れ替わった日に過ごした町、宮水三葉の住んでいる糸守町を発見します。

しかし、衝撃の事実も知ります。糸守町にはもう人は住んでいません。3年前に大災害がありました。地中の上を飛来した彗星の一部が空中で分裂。その巨大な破片が糸守町に落下。大きな隕石の落下の衝撃波で、町民のうち500人が死亡する大災害が起きていたのです。

図書館に行き犠牲者名簿を調べると、そこには宮水三葉の名が!そうです。実は入れ替わりには「3年の時差」があったのです。そして、最後の入れ替わりが起きた翌日、立花瀧が先輩とデートした日の夜に、宮水三葉は事故で亡くなったのでした。

だから、もうそれ以降、入れ替わりは起きないのです。その事実が分かった時、瀧に悲しいことが起こります。突然、宮水三葉の名前を忘れます(笑)。

名前の記憶が無くなります。ここでまたツッコミです。絵をかくのが好きな立花瀧、入れ替わっていた記憶を確かめるため、必死になって、そのスケッチを元に飛騨地方を調べ、記憶を頼りにどこの町か聞いて周った瀧。三葉がどうなったのか図書館で調べた瀧。

だったら名前もどっかにメモっててもいいでしょう(笑)また、その飛騨への旅行には先輩と友人が同行しています。話をしてるなら、先輩と友人が「お前がミツハって言ってたよ」と覚えててもいいんじゃないかと思います。しかし、そんなことは無く、「君の名前を忘れて」、物語は都合よく進みます(笑)。

ストーリー続き   

もう瀧には美人の先輩はどうでもよくなりました。三葉のことで頭がいっぱいです。「三葉を助けたい」そういう気持ちになります。また「入れ替わり」が起こって欲しい。事故が起きる日の前に。そうすれば、事前に彗星の事故のことを伝えて三葉を助けられる。そう考えた瀧にヒラメキ(直感)が来ます。

「あのご神体の場所に行こう」。山頂まで登りご神体のある洞穴に入る瀧。そこでお供えした「口噛み酒」を飲むと、なんと、希望通り(笑)、彗星の事故の起きる当日の朝の三葉の身体に入れ替わります!

はいツッコミです。

ご神体が奇跡を起こすというのはいいですが、なんでまたここまで瀧の希望通りのミラクルが起きるのか?なんで「口噛み酒」を飲んだらまた入れ替わりが起きるのか?「神様に供える結んで編んだヒモ」に、時間を交差させる意味があることが暗示されますが、ぜんぜん理由になってません(笑)

ストーリー続き

 彗星事故の起きる当日に三葉の体になった瀧。三葉の妹から、三葉が前日に東京に日帰りで行っていたことを知ります。そして瀧は思い出しました。3年前に三葉と会っていたことを。映画は三葉の視点になります。入れ替わった日々の記憶を頼りに、東京で瀧を探す三葉。ついに瀧を発見し声をかけます。

しかし、実は三年の時差があるので、それは入れ替わりの起きる3年前の瀧。まったく三葉の記憶がありません。「おまえ誰?」。ショックを受ける三葉。フラれてしまいました(涙)。この日の夜に彼女は髪を切ります。

ここでツッコミです。

入れ替わる瀧と三葉は、お互い同い年で高校三年生。しかし、三年の時差があるので、三葉が高校三年生の頃、瀧は中学3年生。中学3年生と高校3年生じゃあ、ぜんぜん容姿が変わりますよね(笑)。東京で瀧を発見できた三葉。よく見つけられましたね(笑)。中三と高三という大きな容姿(体)の差はどうしたんでしょう(笑)。もう無茶苦茶です。

ストーリー続き

 この後のストーリーは最後の山場です。もうだいぶ長くなったので、すごく簡潔に書きます。三葉になった瀧と、瀧になった三葉がご神体のある山頂で出会います。瀧は三葉に彗星の事故について話し、ここで体は元に戻ります。自分たちと町の人々を「これから起こる事故」から救うために奔走する三葉。(山場の説明は省き……)おかげさまで全員助かります。

ストーリー ラスト

最後の入れ替わりから四年後。大学4年生で就活中の瀧。もうあの頃の入れ替わりの記憶はかなり薄れてしまいました。でも、なにかを探している、誰かを探している気がするのです。でもそれが誰なのかわかりません。何度か東京ですれ違う大人になった瀧(21歳)と三葉(24歳)。でもお互いに気がつきません。しかし、最後に階段のある坂で出会います。『君の名は。』のポスターで高校生二人が振り向き合っているあの場所で、そう映画では高校生の二人はあの階段では出会いません。高校生の頃に入れ替わり、出会った二人が、大人になってあの階段のある坂で再会出来たのでした。

ハッピーエンド! 

※一度観た記憶ですので、細かいところで違っている可能性があります。

個人的感想 

感動しました。美しい恋愛映画です。大学を卒業して10年になりますが、「自分はこんなキレイな恋愛は無かった」と憧れる気持ちになりました。1980年代の若者が作った言葉「むねキュン」とはこのことか!というくらい、「むねキュン」な映画です。

瀧と一緒に「三葉を助けたい」と思い、最後の彗星事故から町民を救おうと奔走する場面はハラハラのドキドキです!そしてハッピーエンド!。「よかったー!」とホッとしました。「ありがとう新海誠監督!」そう思いました。 

 そして、翌日にどんな話だったか思い出しながらストーリーを追うと、かなりツッコミどころのある展開だなと、笑えました。

おそらく、新海監督には「瀧と三葉をこういう状況に置きたい」という意図があり、そのためにかなり都合のいいストーリー展開にしているんだと思います。その「置きたい状況」は、RADWIMPSの歌とも関係があるんだと思います。あらすじを一部ですが書きました。しかし、まだ観てない人はぜひ観てください。とても面白く、感動する映画です。あと、自然描写など、絵もすごく綺麗です。おすすめ100点丸です!しかし、こんな美しい恋愛、してみたいですね! 

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