村上春樹の失敗作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』あらすじ

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の感想と批判

『騎士団長殺し』以来の長編小説『街とその不確かな壁』が新潮社より発売された村上春樹。新作は注目ですね。書店もファンもお祭騒ぎの春樹フィーバーです。楽しみです。私もAmazonで予約してます。 

 そんな村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を先日読みました。読んで1番強く思ったことは、「村上さんはスマホを持っていないんじゃないか?」ということです。現代のスマホを持っている私たちからすると変な箇所や???となる場面がいくつもあります。 

  同時に私が思ったのは、小説の不自然な箇所を指摘できない編集の無能さ、または「村上春樹が偉くなりすぎて、編集者はアドバイスやダメ出しが出来なくなっているんじゃないか?」という疑問でした。以下、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』における変な箇所、不自然な箇所を私が説明します。

 物語あらすじ(ネタバレ無し)

主人公 多崎つくる君は36歳。一人暮らしで東京在住。地元は名古屋です。高校生の頃に仲のとても良かった友人たちが4人いて、その仲良しグループ(みんなで5人)は大学生になってからも続きました。

仲良しグループの中で、多崎つくるだけが現役で東京の大学に入学し、地元名古屋を離れます。しかし、地元に帰った時に5人は必ず集まり、仲良く過ごしてきました。

しかし、大学生2年生の夏に、突然、多彩つくるだけが仲間はずれにされます。突然グループから切られます。みな彼には会ってくれなくなります。理由は分かりません。多崎つくるは大きなショックを受けます。

36歳の現在の多崎つくる。少し前に知り合い親しくなった女性がいます。38歳の年上の木元沙羅です。二人はデートをし、セックスもします。しかし結婚を考えるような真剣な関係ではありません。。

木元沙羅との会話と交流から、大学生の頃の「仲間はずれ」体験が自分に大きな影響を与えていることを知り、その体験の清算に向かいます。なぜ自分だけが仲間はずれにされたのか、その真相を知るために、仲良しグループだったメンバー4人に会いに行きます。

以上があらすじです。では以下スマホについて。

村上春樹はスマホ・携帯を持っていないが、小説の主人公は携帯を持っている。

 まず最初に、主人公の多崎つくるが「携帯」を持っていることを確認しましょう。 135ページ(ページ番号はハードカバー本)にて“木元沙羅から携帯に連絡があったとき、”とあります。

また、209ページに“彼は携帯電話をポケットにしまい、”との記述もあります。

  • スマホでしょうか?
  • ガラケーでしょうか?

この段階ではわかりません。

ただし、小説の舞台が現代、すでにスマートフォンが普及しいる時代であることは確かです。

舞台はスマートフォンのある現代

 小説の中で、主人公がJR新宿駅9番線を見ている描写があります。そこでは

iPodの白いイヤフォンを耳に突っ込んで~自分一人だけの世界を既に確保している者”
“人々はあちこちで、スマートフォンを指先で器用に操作し、あるいは構内アナウンスに負けないように携帯電話に向かって大きな声を上げ、”
(355ページ)

とあります。スマホの普及してる現代が舞台です。 

e-mailで恋人に連絡!?

 主人公の多崎つくると木元沙羅は、“つくるの上司の新築祝いのホームパーティーで紹介され、そこでメールアドレスを交換し”知り合います。バーでのデートの別れ際、次回のデートについて、つくるは沙羅に“メールを送るよ”と言います。

メールとは何でしょう?スマホでは「メールするよ」とは言わないですよね。LINEで連絡するからです。「またあとで連絡する」とか「LINEで連絡するよ」とかですよね。ガラゲー時代は「メールする」って言ってましたね。

ところが、97ページ。“多崎つくるは木元沙羅にコンピューターからメールを送り、”とあります。

え!?e-mail !?

仕事中に仕事のパソコンで木元沙羅の仕事のメアドにメールしたのかもしれません。

それって、けっこう前ですよね。今では会社のパソコンに記録が残ってしまうからみんな会社のメアドで個人的なメールのやり取りはしていないですよね。

ちなみに、多崎つくるは仕事以外ではインターネットはあまり使いません。グーグルやフェイスブックは知ってはいますが個人的にはほとんど使わないそうです。
(107ページ)。

村上春樹がインターネットもSNSも好きではないのでしょう。だからそういう人物設定になっているのではないかと思います。

海外プリペイド携帯を購入

 仲良しグループは、多崎つくる君と男性2人と女性2人でした。女性2人のあだ名はクロとシロです。

多崎つくるはクロに会いにフィンランドのヘルシンキへ行きます。彼女はフィンランド人と結婚し、そこに住んでいるのでした。

“フィンランドヘルシンキの空港で携帯電話を扱うショップを見つけて、なるべく操作の簡単なプリペイド機を購入した。”
(247ページ)

私は長期間の海外滞在の時はプリペイド携帯を使っていましたが、今回の多崎つくるの旅行は2泊3日くらいの旅行です。まあ、でも日本の携帯は、今は金額に上限をつけて海外で使えますが、それでも日本の携帯を海外で使うと高いので、プリペイド携帯を買った方が安いのかもしれません。

スマホを持っていた! 

“グーグルの地図を片手に途方に暮れている彼の姿を見て、自転車に乗った小柄な老人が寄ってきて、「この近くだ。案内してあげよう」。”
(268ページ)

仲良しメンバーだったクロの家を探す多崎つくる君、レンタカーの中でグーグルの地図を見ていました。スマホを持ってたのですね。スマホのプリペイド機ってあるんですか?あったとして2泊3日の旅行で買います?買いませんよね。

プリペイド携帯以外に自分のスマホを持っていって、自分のスマホでグーグルマップを見たのだと思います。

自宅電話でトーク!?

 フィンランドでクロと再会した多崎つくる。日本に帰国します。土曜の朝に東京に戻ります。

“旅行バッグのものを方付け、ゆっくり風呂に入り、あとの一日何をするともなく過ごした。帰ってすぐ、沙羅に電話をかけることを考えた。実際に受話器を手に取って、番号を押しさえした。しかし結局受話器を元に戻した。”(332ページ)

 “シャワーを浴びてから沙羅の住まいに電話をかけてみた。しかし電話は留守番モードになっていた。”“携帯電話にかけてみようかとも思ったが。思い直してやめた”(333ページ)

“受話器を手に取って”です(笑)。まず、自宅電話があることに「?」です。ほとんどの1人暮らし生活者には自宅電話いらないでしょう。多崎つくるはスマホ、恋人の木村沙羅はスマホか携帯を持っているのは確かですが、どうやら二人とも自宅電話を持っている設定のようです。 でも、なぜ恋人の自宅電話に架電するんでしょうか(笑)。今はかけ放題プランもあり、携帯で長話だと料金高いって時代じゃないし(笑)!

ちなみに、午前四時前に“つくるは受話器を取り、沙羅の電話番号を押した”(344)という場面もあります。午前4時頃に自宅電話に架電って(笑)。めちゃくちゃ迷惑ですね。

 LINEもSNSも出てこない

フィンランドから帰国し、木元沙羅の自宅電話に電話したが留守電だったその夜九時前に、今度は沙羅から電話がかかってきます。

“「ねえ、今日の午後一時くらいにうちに電話をくれたのは、あなたよね?留守電をチェックするのをずっと忘れていて、さっき気がついたんだけど」
「僕だよ」
「留守電にメッセージを残すのが苦手なんだ。いつも緊張して、言葉がうまく出てこない」
「そうかもしれないけど自分の名前くらいは出てくるでしょう?」
「そうだなたしかに名前くらいは残すべきだった」
「ねえ、私もけっこう心配していたのよ。旅行はうまくいったのかなって。何かひとことくらいメッセージを残してくれてもよかったんじゃないかしら」”
(335ページ)

自宅に電話をかけて出なかったら、スマホなり携帯に電話するか、ライン(LINE)でメッセージ送ればいいのですが、そんなことは小説では出てきません。そしてもし携帯に電話をしていたら、履歴が残るので「誰から電話がかかってきた」のか、はっきりわかります。また、木元沙羅もフィンランドに着いたつくるにLINEでメッセージを送れば、つくるはホテルの無料wifi環境で返信できるでしょう。

そうです。この小説の違和感の一番大きな点は、携帯があり、携帯でグーグル地図を見れ、スマホも存在している時代の36歳の男性が主人公で、恋人と電話でやり取りをするにもかかわらず、自宅電話をもっぱら使用し、携帯の架電履歴とLINE(メッセージ交換アプリ)がいっさい出てこない点です。

携帯の通話履歴やLINEが出てこないのは、小説にその必然性が無いからではありません。小説では「電話をかけた」「電話をかけるのを止めた」「連絡が無い」などの電話のシーンがけっこうあります。現代に生きる人間に取って、携帯電話での連絡がメインです。その携帯の通話履歴、LINEでのメッセージのやり取りが出てこないのは不自然です。

電話時代の切なさ。センチメンタル

 小説の最後に近い場面です。

“受話器をとって、その意味を深く考えないまま短縮番号を押し、沙羅に電話をかけた。”(365)

沙羅からコールバックが来ます。しかし多崎つくるは電話に出ません。

“こんな時間に電話をかけてくる相手は彼女しかいない”
(366ページ)
“15分後にまた電話のベルが鳴ったが、つくるはやはり受話器を取らなかった。”
“その黒い受話器をただ注視していた”
“沙羅、と彼は思った。君の声が聞きたい。他の何よりも聞きたい。でも今は話すことができないんだ。”
“あとの一日を何をするともなく過ごした”
(367ページ)

この場面は自宅電話でしかあり得ないシーンです。何故なら携帯なら電話がかかってきた履歴が分かるので、誰から連絡があったかわかります。また電話に出なかったら、LINEでメッセージが届いたり、LINEでメッセージを送ることが出来ます。しかも多崎つくる君の自宅電話は「黒い受話器」だそうです(笑)。

村上春樹は電話時代の小説家

村上春樹は「電話をしたけど相手が出ない」「電話がかかってきたけど出ない」「電話の相手は誰かは不確かだが、たぶん恋人だろう」「でも居なかったふりをして折り返さない」(折り返したが君は出なかったよ。という嘘がつける前提での)という状況が好きなのでしょう。『ノルウェイの森』もラストシーンは公衆電話で緑に電話したが緑は電話に出ないというシーンでした。

 今は携帯の通話履歴、メッセージ交換アプリ、そして「既読」「既読スルー」「既読が付かない」という状況があります。

彼女に対して連絡を返さないとか、そういうことはあります。しかしそれは、「電話に出ない」→「メッセージ(LINE)送信」→「既読が付く、付かない」という順序をたどります。

電話しかない時代よりも、一人にはなりづらい時代。さらにコミュニケーションの機微もずっと複雑になってしまいました。

村上春樹は今のスマホ、さらには携帯も嫌いなのでしょう。『蛍』や『ノルウェイの森』など、ひと世代以上前ですが、現代にも通じるディスコミュニケーションとそのせつなさが魅力的です。しかし、村上春樹が描くせつない世界で、村上春樹は電話を偏愛しています。そこが今の時代から少しズレてしまっており、現代を舞台にした作品では、とても不自然になってしまっています。「村上春樹は電話時代の作家」なのです。

新作『騎士団長殺し』の内容はまだ分かりませんが、騎士団長という名前からしておそらく現代ではないのかもしれません。しかし、現代と過去を行き来するのかもしれません。

もし現代が舞台なら、電話のシーンがどうなるか、小説の中で携帯やスマートフォンがどう扱われるか、楽しみですね!

ボディメイキング研究所の時任でした。

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