安倍首相の支持率が下がらない理由・独裁に抵抗がない日本人

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日本に民主主義は根付いていない

安倍首相の支持率が下がらない理由

森かけ問題(森友学園・加計学園)を連日追及され、霞が関役人による公文書改ざん、証拠隠しが次々と報道されています。安倍首相最大のピンチ。

でも支持率は40%前後を推移。安倍首相本人も辞める気はなく。乗り切れると思っている様子です。麻生大臣も強気の発言を繰り返し、謝る気など毛頭ありません。

なぜ安倍政権の支持率が下がらないのか、なぜ安倍本人は辞めなくても大丈夫と思っているのかを私なりに考えてみました。

結論:日本人は権力の強大化自体には批判的ではない。

日本では権力の横暴(私物化)で首相が辞めたことはないようです。
(金銭スキャンダルを除く)

ここ数十年の総理大臣の辞任理由は3つ

  1. 「国民の支持を失う(支持率低下)」
  2. 「党内求心力の低下」
  3. 「国民支持率低下→党内求心力低下」

そして「国民支持率の低下」理由は2つ

  • 金銭スキャンダル
  • 法案採決や外交が上手くいかず無能と思われる

「党内求心力低下」の理由は

  • 他派閥との協調、調整が上手くいかない。
  • 権力闘争

今回の安倍首相の森かけスキャンダルは、友人優遇のために権力を使用。官僚が忖度または命令?にて首相の都合がいいように文章を改竄。という強すぎる権力、権力の乱用が大きな問題です。

しかし、この森かけ問題には、安倍首相本人への金銭スキャンダルが無いのです。

そして、安倍一強と言われる内閣。反対派閥も反体勢力も弱く、党内求心力は低下していません。反対勢力が少数派。これも強すぎる権力を表しています。

しかし、日本では強すぎる権力、権力の乱用、私物化によって支持率が大きく低下したことはないと思います。

例えば東京都知事。強い権力を乱用し私物化した石原慎太郎はそれを批判されながらも、決して都民支持率は下がらす、むしろ強い権力=実行力ととらえられ、安定した人気を得ていました。

後続の猪瀬は選挙時の金銭スキャンダル、舛添は権力の私物化スキャンダルですが、金額がセコ過ぎて、馬鹿にされて都民の支持を失いました。

日本人は権力者が「無能」「馬鹿」「小物」と見たときに不支持になります。

権力の強大化自体には批判的ではない。むしろそれが有能さを表しているように見える場合は、逆に支持します。

今回の安倍首相の森かけ問題は、安倍の権力の私物化を見せてくれますが、安倍の無能さを見せていない。ここがこのスキャンダルが安倍首相辞任につながらない理由、国民の支持がまだ40%前後ある理由でしょう。

そして、安倍首相自身もそれを知っている。

安倍は「国民にバカにされたら支持を失う」ことをよく知っているため、これまでの国会議論でも野党民主党の失敗を徹底的に批判し続け、自身への批判には相手をバカにしきった表情で対応してきたのでした。

この対応が有能でなくて何でしょうか?日本が大好きな安倍首相。本当に日本人の心性をよく知っています。

でも、そんな安倍政権の権力の強大化、乱用を許している私たちこそ、「無能」「馬鹿」「小物」なのではないでしょうか、と思います。

ここ数十年の総理大臣辞任理由をWikipediaと私の記憶を参考にまとめました。

総理大臣辞任理由まとめ

中曽根康弘内閣:1982年11月27日-1987年11月6日(1,806日)
選挙中公約に無かった売上税を導入しようとし支持率急落。党内でも公約違反と批判され辞任。(党内求心力の低下)

竹下 登内閣:1987年11月6日- 1989年6月3日(576日)
リクルート事件(1988年)のスキャンダルで支持率が10%以下。内閣総辞職へ。(国民の支持低下)

宇野宗佑内閣:1989年6月3日- 1989年8月10日 (69日)
セックススキャンダル後の参議院議員選挙で惨敗。敗北の責任をとり辞任。(国民の支持低下)

海部俊樹内閣:1989年8月10日- 1991年11月5日 (818日)
政治改革法案が国会で廃案となり、衆議院の解散総選挙み言及。自民党内から批判され自民党内での支持離れにより辞任。(党内求心力の低下)

宮澤喜一内閣:1991年11月5日- 1993年8月9日 (644日)
経済に詳しいと言われたが有効な不景気対策を打ち出せず。また自民党への政治不信も続き新党ブームへ。選挙に敗れ野党へ。(国民の支持低下)

細川護煕内閣:1993年8月9日- 1994年4月28日 (263日)
コメ輸入解禁による混乱。国民福祉税構想に対する党内批判、自身の金銭スキャンダルにより苦境と感じたか、突然に辞職。(党内求心力の低下)

羽田 孜内閣:1994年4月28日- 1994年6月30日 (64日)
連立与党と社会党との間で政策協議が決裂。自民党による内閣不信任案が成立しそうだったので、自分から辞任。(党内求心力の低下)

村山富市内閣:1994年6月30日- 1996年1月11日 (561日)
阪神大震災での対応の遅さを批判される。「なにぶん初めてだったもので」という発言をメディアが批判。疲れてしまった感じから、自ら退陣表明し辞任。
(国民の支持低下)

橋本龍太郎内閣:1996年1月11日- 1998年7月30日 (932日)
消費税を公約にした参議院選で自民党が議席数を大きく減らした責任を取り辞任。(国民の支持低下)

小渕恵三内閣:1998年7月30日- 2000年4月5日 (616日)
首相在任中に脳梗塞を発症し死去。(死去)

森喜朗内閣:2000年4月5日2000年7月4日- 2001年4月26日 (387日)
「神の国」発言など失言を連発。えひめ丸事件時にゴルフをしていたことなどがマスコミに批判され支持率が10%近くまで下落。連立を組む公明党と最大派閥橋本派より批判され辞任。(国民の支持低下→党内求心力低下)

小泉純一郎内閣:2001年4月26日- 2006年9月26日(1,980日)
任期満了による辞任。(満期)

安倍晋三内閣(第一次):2006年9月26日- 2007年9月26日 (366日)
農水大臣の自殺、後続の農水大臣の謎の絆創膏記者会見など、政治不信が高まる中の参議院選で惨敗。健康問題悪化を理由に辞任。(国民の支持低下)

福田康夫内閣:2007年9月26日- 2008年9月24日 (365日)
党内反対派を押し切り、民主党小沢一郎との間で大連立構想を模索したが、小沢の翻意によりとん挫。これで情けない印象を与え党内求心力低下し辞任(党内求心力低下)

麻生太郎内閣:2008年9月24日- 2009年9月16日 (358日)
漢字が読めないことをマスコミに揶揄され辞任(国民の支持低下)

鳩山由紀夫2009年9月16日- 2010年6月8日 (266日)
沖縄基地問題が二転三転。国民の信頼を失い、党内実力者の小沢一郎に見放され辞任を余儀なくされる。(国民の支持低下→党内求心力低下)

菅直人内閣:2010年6月8日- 2011年9月2日 (452日)
東北大震災、福島原発問題での対応を批判され、支持率が急落。党内からも批判され辞任を余儀なくされる。(国民の支持低下→党内求心力低下)

野田佳彦内閣:2011年9月2日- 2012年12月26日 (482日)
菅直人内閣後期より仙谷由人官房長官が権力を握りはじめる。中国漁民の尖閣沖での漁海上自衛隊船への体当たりに対し、いったん逮捕したものの中国に批判され保釈。これを弱気をマスコミからもう批判を受ける。このころよりマスコミ報道で民主党の外交能力に大きく疑問が持たれる。
野田は財務省に簡単に篭絡され、公約に無かった消費増税法案を通そうとする。安倍晋三の挑発に乗り法案可決と引き換えに解散総選挙を約束。民主党惨敗で下野。(国民の支持低下)

安倍晋三内閣(第二次):2012年12月26日- 在任中
金銭スキャンダル以外の権力の肥大化、私物化で辞任した首相はいません。有能と見えれば権力の肥大化を許してしまう。安倍晋三が独裁者と批判されますが、もっとも批判されるべきは独裁者を許容しかねない日本人の政治に対する心性のほうかもしれません。

以上。

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